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第4回憲法学特殊講義(沖縄戦と平和)

今回は、2005年9月19~21日に実施された沖縄でのゼミ合宿の感想を掲載します。
憲法とは関係ないのですが、レポートを記録しておくという意味でここに保存しておきます。

ゼミ沖縄合宿感想

 日本史が好きな私がモットーとしている言葉に、「温故知新」という言葉がある。昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得るという意味である。昔の物事を研究し吟味するということは、すなわち歴史を学ぶということだ。
 ではなぜ、我々は歴史を学ばねばならないのか。
 歴史は繰り返されるという。ならば、ある出来事を歴史という大きな流れの中に存在するものとして読み取ることで、今現在、あるいは将来への教訓、備えにするべきであろう。
 歴史を学ぶということには、そんな意味があるはずだ。
 
 沖縄戦。
 歴史の授業で学ぶ「第二次世界大戦」の末期の一戦線である。高等学校の教科書ではその程度の扱いしかしていないし、かすかに教科書には記載されていても近現代史を完全に無視する中学歴史教育では触れられることもない。
 だが少なくとも、あの戦争を犠牲にして成り立っている現在の日本に生きる我々にとっては、その程度の扱いでは不十分であることは間違いないだろう。
 先の大戦(これを「大東亜戦争」と呼ぶか「アジア・太平洋戦争」と呼ぶかなどというのはこの際不毛な論議でしかないだろう)において、住民をも巻き込んで行われた内地唯一の地上戦が激しく繰り広げられた場所であるが、そのようなことは紙の上の知識でしかないということに我々はひょっとすると気づいていなかったのではなかろうか、と今になって感じている。
 6万もの兵士は、また12万もの住民はどのような場所でどのように命を落としたのかということは、記録されている戦史を読むだけでは氷山の一角を見るに過ぎず、実際に現地を訪れ、五感を駆使して検分しないとわからないはずなのだ。
 具志頭村新城のヌヌマチ~ガラビガマを訪れ、私はそのことを痛感した。
 
 教科書の沖縄戦の項にはよく、「ガマと呼ばれる天然の洞窟に立てこもりました」というような記述がある。だが実際に現地へ行ってみて、そんな生易しいものではないということがすぐにわかった。
 くるぶしまで浸かる泥、頭を濡らす地下水、気を抜くと下まで滑落しそうな急斜面。
 だが、ここが単なる洞窟であればなんら問題はないのだ。
 問題は、ここが野戦病院として使われていたということである。この劣悪な環境下に、1000余名の傷病兵が銃創や伝染病に苦しみながら収容されていたという。
 そればかりではない。県立第二高等女学校の生徒が「白梅学徒隊」として看護要員に動員されていたのである。まだ十代の彼女たちは、粘土質の坂を降り、岩の合間を渡り、したたる地下水に身を濡らしながら、自分よりも重い兵士を真っ暗な壕の奥まで運んでいたのだ。
 そして兵士を運んだあとは、彼らの世話もせねばならない。麻酔なしで行われる外科手術の痛みに耐えかねて暴れる負傷者の腕を押さえつけ、あるいは薬も尽きた中で形ばかりの「治療」を施し、残りわずかの食料を配分し、排泄の世話をする。
外の光がまったく差し込まないあの暗闇の中で、臭気とうめき声に囲まれて暮らすなど、私にはとても想像がつかないことであった。
 あの時あの場所で、彼女たちが味わった恐怖や苦しみは、実際にあの場所を訪れてみないとその千分の一も万分の一も理解できないであろう。いや、「水と平和はタダ」とまで揶揄される現在の平和な日本に暮らす人間には、そもそも理解できないのかもしれないし、そのような生半可な理解は不要と戦没者の霊に言われるかもしれない。
 だがともかく、紙の上の知識ではなく、現場へ行って自らが感じ取ることが歴史を学ぶことにおいて大切なのである。あの壕へ入ったことは、沖縄戦に関する記述をただ読むよりも何倍もの価値があったと思う。

 では、戦跡を体験して何をなすべきなのか。
 「戦争は悲惨だ」「戦争はぜったいにしてはならない」というような空疎な平和論を振りかざしていればどうにかなるというものではない。現在の自称平和主義者の多くは、戦争の悲惨さを訴えるものの、自身実は戦争が何たるかを知らずに安易に「戦争反対」を題目のように唱えているところに限界がある。
 そんなものは何の役にも立たないはずだ。
 体験したことを元に、「戦争」という出来事を歴史の大きな流れの中に見出し、その原因、内容、結末を探ってこそ、平和を希求するために本当に役立つのではないのか。
 これは先の大戦という大きな事象に限った話ではない。沖縄戦という、大戦の中の一戦線についても言えることである。なぜ沖縄に戦線が設定されたのか、どのような戦闘が繰り広げられたのか、12万を超える住民がなぜ犠牲になったのか、沖縄戦の敗北がその後の戦況にどのような影響を与えたのか。
 「平和」という状態を作り出すためには、その反対の状態である「戦争」を学ばねばならないはずだ。そういった点から見ると、現代の日本人はあまりに「戦争」を知らない。「歴史」も知らない。歴史を知らないということは、将来への教訓を知らないということであり、将来に対する備えを持たないということだ。
誰だって戦争は嫌なのだ。私のように憲法改正を口にする人間がいると、それをどうも「戦争をしたがっている」と捉える向きが未だにあるようだが、そのようなレッテル貼りをして簡単に済ますことができるなら話は早いだろう。だが実際はそうではない。
 思想性のベクトルがどちらを向いていようと、戦争は嫌なのだ。誰だってまだ死にたくはないだろう。
 だからこそ、どのような立場、考え方の人間であれ、「戦争」とは何なのかを知る必要がある。「歴史」を知る必要がある。「戦争」や、それを含めて「歴史」を知れば、真の「平和」を作り出すきっかけをつかむことができるのではないだろうか。
 私は思う。
 今回の戦跡の体験は、文献では伺い知ることのできない本当の「戦争」を知る入り口となった。そして同時に、「歴史」を知る入り口でもあり、つまりは「平和」への入り口ともなったはずだ。
せっかく入り口に到達できたのだから、真の「平和」を求めるために、これからもっと歴史を学ばねばなるまい。
 それが、沖縄はもちろん、各地において日本の将来を信じて亡くなっていった全ての日本人の死に報いるために私ができることなのだから。

以上
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